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水農に入ってがんばったこと
茨城県立水戸農業高等学校(定)2年 小泉 和矢
僕が水戸農業定時制に入ってがんばったことが4っつあります。
まず1つ目は勉強です。中学のときは面倒がって提出物など提出しませんでした。というより、勉強がつまらなくてノートも取りませんでした。やっている内容もさっぱり分かりませんでした。水農定時制に入ってからは楽しく勉強ができるようになりました。先生もおもしろいし、内容もわかりやすく、授業にも集中して積極的に参加できるようになりました。もちろん、提出物も欠かさず出すようになりました。これに満足せず、将来に備えたいと思っています。
2つ目は、早起きです。中学のときは家から学校まで近く、いつもぎりぎりの時間に登校していました。たまに遅刻しそうになったりして慌てることもありました。水農は日立から遠いので、早く起きなければ間に合いません。今は5時に起きて早めに登校しています。初めは体がだるく、起きるのが面倒でしたが、今は慣れて毎日のリズムになっています。後でお話ししますが、早く登校した時間を、バドミントンの練習に当てています。
3つ目はお化けカボチャの大会に向けてのカボチャの栽培です。これは普通の高校生ではできないことなので、気合いを入れてがんばっています。昨年カボチャの大会を大子町の「余暇活用センターやみぞ」に見に行きました。出品しようとカボチャを育てたのですが、中が腐っていて出品することができず、単なる見学になってしまいました。見学してみると、一般の人たちのカボチャは大きく、形がきれいで圧倒されました。そのとき、「でかくてかっこいいな」と思いました。そして今年の大会には是非参加できるよう、一番立派なかこいいカボチャを育てようと意欲がわいてきました。実際にやってみると結構つらいことが多かったです。6月には暑い中、種を植えました。7月、8月と草を刈ったり、つるの管理をしたり、カボチャが傷まないように手入れをしました。つるに傷を付けてしまうとカボチャが育たないので神経を使い手作業で行います。暑さの中での神経を使った作業になり、作業が終わるとぐったりしてしまいました。今までにない経験でした。夏休み中の作業でもあり、暑くて大変でしたが、楽しくとてもやりがいのある仕事です。9月22日に収穫をしました。周囲約2mぐらいに育っています。私一人では周囲に手を回すことができません。重さは50キログラムを越えていました。大きさはいまいちだけど、形とつやは自信がありました。23日に「お化けカボチャコンクール」にカボチャをもっていきました。一人では運べないので、カボチャを麻の袋に載せ、二人で運びます。大賞を取った一番大きなカボチャは120キログラム以上あり、その大きさは、私たちの育てたカボチャの2倍ぐらい有りました。賞には入らなかったが、私たちの育てたカボチャが、ディズニーランド近くのホテル サンルートに展示されることになり自信を持ちました。来年こそは大賞を! とまた来年に向けて考えています。
4つ目はバドミントンです。1年生のときに体育でなんとなくやってみたらかなり楽しかったので、定通大会に出てみましたが、簡単に負けてしまいました。このままでは終われないと思い、練習を始めました。放課後は、全日制の部活があるため体育館の使用ができないので、朝8時から練習することにしました。担任の山井先生と1、2年生6人で毎日がんばっています。初めは、スマッシュ、サーブ、レシーブができなくてたくさん練習しました。DVDを見て、基本を繰り返し繰り返し練習しました。練習を繰り返すうちに少しずつうまくなっていきました。一緒に練習している仲間と試合をしてみると、お互いに確実に進歩しています。10月の大会までにさらに磨きをかけて、ベスト3に入れるようにがんばっています。サーブのコントロールは少しずつ思う通りに行くようになってきました。始めた頃はコート内に入らずアウトばかりでした。また、相手のナイスボールになってしまい、簡単にスマッシュを打たれてしまいました。練習を重ねることによって自分のイメージに近いレシーブに近づいています。どんなところに来ても返せるようになるまで、もっともっと練習をしていこうと思います。これからの課題はスマッシュとカウンターが打てるようになることです。また、ステップも自己流なので直していますが、なかなかうまくいきません。練習の雰囲気は、集中してやるときと、リラックスしてふざけるときとメリハリがあります。女子が3人いるのですが、その集中力は怖いくらいです。みんなで練習しているうちにみんなの呼吸も合うようになって、チームワークもよくなっています。目標は、県大会ベスト3ですが、毎日の練習が精神面でも充実しているので、結果にこだわらず、練習の成果を思い切りぶつけてみたいと思っています。
農家実習
茨城県立水戸農業高等学校(定)3年 金田 涼
私は、小学校5年のとき初めて農業の体験をしました。それは、学校行事で行った稲刈りでした。カマで稲を刈り、脱穀してわらを干しました。そのときの米は餅つき大会で使い、わらはクジャクの飼育に使いました。そのときの体験がとても新鮮でいつまでも私の体の中に残っています。中学校のときは職場体験で、ブドウ園の仕事を選びました。3日間ブドウ園の手伝いをして、ますます農業に関して興味を持つようになりました。家には畑も水田もなく、そこで、高校に入って農業の勉強をしたいと思うようになりました。
水農に入ってみて、農業の実習の時間が一番楽しみです。1年生のときは水田管理で稲作を中心に勉強しました。2年、3年と果樹と野菜の実習をやっています。果樹の時間は、ナシに農薬をかけたり、下草刈りの作業を中心に行っています。野菜の時間は、班を作り自分の作りたい野菜を作っています。私は友達と二人でカボチャとホウレンソウを作っています。野菜の栽培は自分の思ったとおりにいかないところがおもしろいです。発芽率の統計などはありますが、自分で実際作ってみると全く統計の数字とかけ離れてしまったりします。病気にかからないようにするために、農薬を使わない方法を考えるのもおもしろいです。農薬を使わないとものすごく手間がかかります。カボチャは4月に苗を植えて、苗を守るためにビニールでおおいを作りました。6月になると草取りが主な仕事になります。8月には収穫して食べてみました。それなりの味がしました。
将来も農業をやっていきたいと考えています。もっと農業について知るために農家実習に参加することにしました。7月24日から26日までの3日間でした。とても暑い3日間でした。私が行ったところは、山芋の栽培をしている農家でした。初日は、友達と二人で先生に農家まで送っていってもらいました。どのようなところか分からず、不安でした。あいさつをした印象は優しそうなご主人でほっとしました。作業内容の説明を聞き、山芋畑の除草作業と言うことで、自分でもできそうな作業だと甘く見ていました。農家の方3人と友達と私の5人でそれぞれに割り当てられた場所の除草作業を始めました。山芋畑は山芋の蔓を2メートルぐらいに塀のように立てているので風は通らず、強い日差しは上から照りつけます。10分も経つと全身から汗が噴き出し滝のように流れ始めました。30分も持たずに休憩をしました。農家の方が用意してくれた冷たい麦茶を頂きました。普通の麦茶がこんなにおいしく感じたことはありませんでした。何とかお昼まで頑張り、アイスクリームを頂いて気合いを入れて午後の作業に向かいました。ところが暑さのため頭が痛くなってきました。初めは我慢していましたが、こらえられなくなり休ませてもらうことにしました。首に強い日差しを受けると頭が痛くなると農家の方に教えてもらいました。友達も同じように気分が悪くなりほとんど話をする元気もなくなってしまいました。ご主人から今日は早めに終わりにしようと言われたときは、申し訳ない気分で自分が情けなくなりました。体力は限界だったので早く家に帰って首筋を冷やして休みました。
2日目は最後まで頑張ろうと気合いを入れ直しました。ご主人から教えてもらったように首にタオルを巻いて作業に取りかかりました。今日は体調も良く慣れてきたので作業もはかどり、農家の方にも褒めてもらいました。それでも、きつい作業なのでお昼休みにも友達とも話をする元気はでませんでした。農家の方が出してくれた漬け物がとてもおいしく感じました。友達と一緒になんとか2日目を乗り切ることが出来、終わったときには充実感がありました。
3日目、友達からメールで今日休むと連絡がありました。今日はひとりでやらなくちゃならないとちょっと心細くなりました。仕方がないのでひとりでやることにしました。今日は畑を替えての草取りです。草取りも要領を得てひとりでもスムーズに出来るようになりました。午後はやっと草取りから解放されて別の作業になりました。気温十数度の低温庫は楽園でした。低温庫で20分ぐらい休ませてもらい、続けて低温庫の中でベルトコンベアを使っての山芋運びでした。作業がとても快適で楽しかったです。次に水を使っての山芋洗いです。奥さんが機械の中に山芋を流し、それを私が受け取ると言う分担です。奥さんの流す作業が速いため、息つく間もなく動かなければなりませんでした。作業に集中していたため全く暑さを感じませんでした。作業には、自分のペースで一人でやる仕事や、共同で一つのことをやる仕事や、持ち場を分担して行う流れ作業など色々な形があります。自分のことだけでなく常に周りの人と呼吸を合わせながら仕事をすることが大切だと感じました。帰るときに頂いた山芋を家族みんなで食べました。そこには、私の3日間の汗がしみこんでいたような味がしました。
将来の目標である農業に就けるように、また色々なことにチャレンジして成長していきたいです。
バスケットボールを通して
茨城県立水戸農業高等学校(定)2年 蛭町 大樹
僕がバスケットを始めたきっかけは、NBAです。兄の友人がNBAの大ファンで、いろいろな話を聞いたり、テレビで試合を見ているうちに、どうしても、バスケットをやってみたくなりました。それまでの自分は、小学校に入学する前からずっと空手一筋だったので、バスケットがとても新鮮に見えました。それまで続けていた空手をやめ中学でバスケ部に入部し、練習しているうちにバスケの魅力にとりつかれました。
高校でもバスケを続けたいと思い、いくつかの高校の評判を聞きました。そこで、どうしても水農でバスケをやりたくなりました。中学の先生に相談したところ、成績面で水農の全日制は無理だと言われ、他の高校を勧められました。しかし、どうしても水農でバスケがやりたくて定時制に進むことにしました。
入学してすぐに全日のバスケ部に入部しました。でも、全日への選手登録が出来ないため、公式戦には出場できなくて練習だけの参加と言うことになりました。毎日夢中で練習し今日まで来ました。1年半の間いろいろなことがありました。疲労骨折、夜の練習で足首を捻ってひびが入ったり、不安でくじけそうなときもありましたが、バスケが好きだったため今日まで頑張ってくることが出来ました。今年の9月10日に「第8回Wリーグ水戸大会(日立ハイテクノロジーズ対デンソーアイリス)」の前座で水戸地区の高校選抜の試合に出場することが出来ました。オールスターのメンバーに選ばれたときは本当にうれしかったです。水戸地区A対水戸地区Bで試合をしました。僕は水戸地区Bの選手として出場しました。出場時間は短かったけれどスリーポイントを決めたときは、何とも言えないうれしい気持ちでいっぱいになりました。
今年のウィンターカップに水農の出場がきまりました。その大会は定時制の生徒でも出場できるので県ベスト4を目指して頑張っています。僕は、夏休みにけがをして練習不足なので、もっともっと練習を積んで、試合でいいプレーが出来るように頑張りたいです。
定時制の大会も1年のときから出場しています。1年の春、高校に入って初めて定時制通信制のバスケットボール大会に出場しました。それまで水農の定時はバスケットボールには参加していなかったのでメンバー集めから始めました。クラスでメンバーを呼びかけると8名集まりました。体育館のコートは仕えないので放課後グランドを走ったりして、走ることを中心に練習しました。1年生だけで出場した大会だったのでみんな緊張しました。みんな同じクラスなのでチームワークがよく、1回戦を突破し、2回戦に進みましたが、そこで敗れてしまいました。
秋の大会は、みんな慣れてきて、少し余裕を持って出場することが出来ました。その結果見事優勝することが出来ました。残念なのはこの大会が全国につながっていなかった点です。
2年生の春は、周りの選手に任せて少し楽をしてしまいました。決勝までは進んだが、決勝では完敗でした。全国への道が厳しいことをあらためて知りました。正直言って定時の大会を甘く見ていました。全国へ行くためには自分がやらなければと思い、自分を鍛えています。すべてのゴールを自分が決めるぐらいの気持ちでやらなければならないと思っています。
この原稿を書いていて思ったことは、バスケを通じていい仲間に出会えたことです。全日の仲間に入って一緒に練習する不安とか、精神的に困っていることがあっても、仲間はいつも相談に乗ってくれたり、励ましてくれたりバスケの仲間は最高です。空手をしていたときは、全国大会に3度出場したが、今度はバスケで全国大会出場をしたいと思っています。バスケは自分一人の戦いではなく、仲間と一緒の戦いで喜びや辛さ、悔しさをみんなで分かち合えることが最高です。定時制から全日制に、移ることも出来るということも聞いたけど、僕には、定時制に入ったときから同じ仲間がいるので、このまま定時制でバスケを頑張るつもりでいます。3年生、4年生になってもそしてその後もバスケを続けていきたいです。
クラスに活力が沸き始めました
茨城県立水戸農業高等学校(定)3年 青木 明子
昭和十九年二月。私は第二次世界大戦中の中国北京で生まれました。その一年半後に,日本が敗戦し,終戦しました。その時から,外地に居た日本人は皆そうであったように,私たち家族も二年に及ぶ難民生活を余儀なくされました。食べる物も着る物もない厳寒の冬を二度も,よくぞ堪え忍んで,命を守ってくれたものと両親を尊敬し,感謝しています。私が生きたこの時代に悲惨な戦争があって,多くの人が命を落とし,悲しみ,苦しんだのです。当時は,大人も子供もお腹をすかせていました。「国の復興は農業から。逸早く復興したドイツでは,線路の間にも,じゃがいもを植えたそうだ。」と鉄道員であった父は,いつも言っていました。
私は,大豆や芋で命を継いだ親の世代をまねて,庭先で作ってみましたが,ほとんど収穫はありませんでした。夢中で生きてきました。ふと気が付いた時には,国はみごとに復興し,飽食の時代の中にありました。もう,そんな時代があった事などを知る人も少なくなりました。飢を知る最後の世代なのでしょう。『いつの日にか農業を学んでみたい。』家庭を切り盛りし,子供を育て上げ,その時が来たのは,六十才の時でした。水戸農業高校の定時制農業科に入学を許されました。成人の生徒は,開校以来ということでした。驚異の目に晒されることも,仲間はずれも覚悟の上でした。
学校では,先生方も,全生徒も,快く私を受け入れてくれました。しかし,期待して入った教室には四名の留年生と,ガーナ人,成人の私を含む四十名の新入生,計四十四名がひしめいていました。「携帯はしまって」から出欠確認まで,十五分もかかりました。音楽をならす者,遅刻する者,ゴミを投げ捨てる者,注意する先生と,どなり合う者,授業は少しも進みませんでした。『誰か助けて』心の中で叫んでいました。十五才のクラスメイトは,じっと耐えているのに,六十才の私が怒り出すことは,はばかられました。『こんなはずではなかった。』と悔やみました。こんな窮状を先生方に訴えました。「定時制はこんなものです。これが現状です。」これが答えでした。
私を含めて諸事情で,定時しか学ぶことのできない人もいるはずです。
これで良いのでしょうか?
良い授業を授かるためには,先生方も,私たち生徒も,変わらなければなりません。『定時制だからしかたがない』から脱却したいと思いました。まず先生に受け身の授業から参加型の授業に変えてもらいました。教科書は一行ずつ輪番に読ませてもらいました。これが功を奏して,授業には緊張感が見られるようになり,日本国憲法を,全員で少しずつ読み上げました。古文や漢文なども,いくつか暗唱できました。ガーナからのクラスメイトも歌うように暗唱しました。
私は高校生のための地球講座に参加して,外国人と交流した事や,日本政府が発展途上国の人々のために,農業や,土木などの教育援助をしていることなどを,クラスで発表しました。
私たち農業高校生は,全員農業クラブに所属します。夏休みには,各科から,発表や農業鑑定競技などの成果を競う県大会が行われます。私たちのクラスからは四名が参加しました。作物,野菜,果樹,畜産,農業機械の中から病気,害虫,肥料,農薬に関しての問題を20秒で鑑定します。県下の農業高校の農業科からは八十二名が参加して競いました。水戸農業からは三名が優秀に選ばれました。秋には全国大会が愛媛県で盛大に行われます。全校を代表して定時制の二名が出場権を得ました。このようにして無気力だったクラスが少し変わってきました。私たちがレベルアップしたのです。私はクラスの中に四十五年もおくれたおばさんが居て,囲を取り込みながらクラスを少しずつ変えていく姿が若者たちの灯台となれたらいいなと思っています。
もし体力が許すことならば,上級学校に進学して,より深く農業を学びたいと思っています。小さな土地を有効使用して,安全で安心な食べ物を作りたいです。
誰もが,食べる物を自分達で作ることができれば,むやみに他の国のものをほしがらずにすみます。世界の平和のはじめ一歩になるかも知れません。そんな啓蒙と実践をこれからしてみたいと思っています。 |